今日は3月11日。
あの日のことは、今でも言葉にすることはできません。
この先も一生、言葉にすることなどできないような気もします。
ふとした言葉に涙が溢れてしまう1日だから、
あえて、普通の一日を過ごすようにしています。
いつの頃からか、この日には
辻信一さんの「よきことはカタツムリのように」を読み返すようになりました。
あの日、
そしてあの日以降、
どんなに悲しいことが起きたか
どんなに悲惨なことが起きたか
どんなに恐ろしいことが起きたか
どんなに悪いことが起きたか
どんなに理不尽なことが起きたか
どんなに許し難いことが起きたか
それらを見聞きするたびに私は自分の無力さに落ち込み
何をすべきなのかわからなくなっていました。
そんな時にこの本を読んで、なんだかとっても救われたのです。
この本の70ページには
「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿についての記述があります。
「見ざる、言わざる、聞かざる」は海外では、悪しきことを見ず、聞かず、話さずという道徳的な教えのことであり、「闇を呪うより、ロウソクを灯せ」ということわざを使いこのように説明されています。
闇をいくら責めても仕方がない。否定ではなく、むしろ肯定的なエネルギーによって、何かそれに代わる状況を作り出す。それがロウソクだ。悪や不正に対抗する代わりに善をなし、善を助ける。人の短所を責める代わりに、長所に注目し、そのよさを励まし、育てよう(P70)
何が悪い、誰が悪い
このままではもっと最悪な状況になりかねない
何が本当で何が嘘なのか分からない
そんな情報に一気一憂するのではなく
今、ここで自分にできる小さなことを大切にする。
それが、心に小さなロウソクを灯すことなのではないかと思えました。
誰かや何かを悪者にするのではなく、
自分の無力さを嘆くのでもなく、
悪しきことでなく、「よきこと」に意識を向ける。
それが私がすべきことではないかと。
この本を読むと、
大切だと思うことを大切にして生きている人がたくさんいるんだと気付かされます。
それなら、私には一体何ができるだろう。
大切にしたいことを、大切にするために
どうやったらそんな生き方ができるだろう。
ずーっと同じことを考えています。
辻さんがこうおっしゃるように
こんなことを僕が言うと、必ず返ってくるのが「そうは言っても現実は…」という話だ。(P218)
私も「そうは言っても現実は…」と思っています。
でも、だからといって諦めるつもりは全然ありません。
カタツムリのような歩みだけれど
ほんの少しずつ、少しずつ、日々の暮らしに「よきこと」を増やしていきたいと思うのです。
最後にこの本の中でとても印象に残っている言葉を紹介します。
「最後の川を汚す時、最後の魚を食べる時、人間はやっと気づくだろう、お金は食べられないということに」(P170)
本文中の引用は下記の本より