少し前のこと、
お誘いいただいて茨城へ行ってきました。
その場所はある方が、おじいさん、おばあさんと一緒に過ごした思い出のお家です。
そんな大切な場所に呼んでくださり、いろいろなお話しをしてきました。
木と畳の香りが漂う、昔なつかしい雰囲気のお家。
私自身も、祖父のことを思い出さずにはいられませんでした。
祖父は、私が2歳の頃に、空へ旅立ちました。
残念ながら、祖父との記憶はあまりありません。
ただ、祖母や叔母から聞いた話から、
祖父が私のことを本当に可愛がってくれていたことはわかりました。
そんな祖父が突然いなくなってしまったのだから、
2歳の私にとってはひどくショックな出来事だったろうと思います。
子供の頃、私は同じ夢を見て、度々うなされていました。
そこは真っ黒で大きな柱が立ち並ぶ空間で、私は怖くて怖くて泣き叫んでいる。
そんな夢です。
ある時、この話を叔母にすると
「それは、じいちゃんのお葬式の様子だと思うよ。あんたおかしくなるんじゃないかってほど泣き叫んでたからね。」
全ての合点がいきました。
喪服を着た大人達の足が、2歳の私には真っ黒な柱に見えたのです。
「知らないおじちゃんが、じいちゃんのことを箱に入れちゃった」
そう言って泣き叫んでいたそうです。
その話を聞いた途端に、私は号泣しました。
覚えているはずもないのに、なぜか涙が止まりませんでした。
きっと心は覚えているんです。
大好きな人が抱っこしてくれない、笑いかけてくれない、呼びかけてくれない。
その寂しさを。悲しさを。
祖父のことを考えるたび、
私の中では祖父の膝にちょこんと座ってご飯を食べているイメージが浮かびます。
私を膝の間に座らせて、うまいか?と言ってご飯を食べさせている祖父。
自分の記憶なのかもしれないし、はたまた誰かに聞いた話からイメージしているのかもしれません。
でも、こうして書いている間にも自然と涙が溢れてくるのです。
だからきっと、これは祖父と私の思い出なのだろうと思います。
じいちゃんのことを思うと柔らかな毛布で包まれているような、あたたかな気持ちになります。
それは、きっとじいちゃんが今も見守ってくれているからだと思うのです。

私はずっと人と関わることが苦手だと思っていました。
人と一緒にいることが苦痛になってしまうのです。
2、3時間話をしただけでぐったり疲れて寝込んでしまうようなこともありました。
だから私は、自分の身を守るため
心のシャッターをピシャリと閉じて、
もう関わりたくないと、強固な殻に閉じこもっていました。
でも、今回茨城への旅にご一緒した方々は
こんな私のことを気にかけてくれて、
あたたかな言葉をかけてくれて、受け入れてくださった。
本当にありがたいことです。
これからの生き方に迷っていた私を、あの場所に導いてくれたのは、確かに見えない何かだったと思います。
私の中には人間の魂とか、ご先祖様の霊とか、妖怪とか、そういう目に目えないものに対する「怖れ」のようなものがありました。
目に見えないものは怖いという思い込みです。
怖いものとして遠ざけてきました。
でも、本当は怖いものなんかではないのかもしれません。
目に見えないものを大切にするからこそ
目に見えない魂が本当に望んでいることに気づける。
目に見えない何かが守ってくれている、見返りを求めない愛に気づける。
目に見えない何かの導きを素直に受け入れることができる。
そういうものではないでしょうか。

人生の苦しみを乗り越えて、
優しく、あたたかく、穏やかに生きている人達がいる。
私もいつか、そんな風に生きられるだろうか。
幸せになってはいけない。
豊かになってはいけない。
楽しんではいけない。
私の中にある、そんな思い込みにも気付けました。
もしかしたらそれは、
子供の頃、苦労して働いている両親の姿を見て思ったのかもしれない
主人公が苦労して幸せを掴む、そんなアニメや物語がきっかけかもしれない
奴隷のように扱われていた、過去生の記憶のせいかもしれない
理由なんてわからないけれど、でも
もういらない。
私は幸せになっていい。
楽しんで生きていい。
心からそう思えたのでした。
茨城で見た、大きな大きなあたたかな夕日と
見えない魂の繋がりを感じた1日。
きっと一生、忘れることはないでしょう。







