台風で朝からずっと雨。
からっからに乾いた大地はむしろこの雨に喜んでいるのではないかと思ってしまうほど。
雨の音を聞いたのはとても久しぶりな気がする。
こんな日は、コーヒーをいれて
のんびり本を読んで過ごすのがいい。
今日読んだのは、若菜晃子さんの「旅の彼方」
いっきに読んでしまうのはもったいなくて、少しずつ少しずつ、
味わいながら読み進める。
行ったことのない遠い国の話だけど、こんな感じかなあと想像しながら読むのが楽しい。
私はどちらかといえば慎重な方で、旅先では未知の食べ物になかなかチャレンジできない。
味の想像できる無難なものばかり選んでしまう。
この本ではいろいろな国のいろいろな食べ物が出てきて面白い。
もちろん、食べ物だけでなく、著者が旅先で出会った人々も皆とても魅力的。
特に印象的だったのは『教会の男』という話。
私の心にはいつまでも消えないある後悔が浮かんでいた。
カナダで暮らしていた頃、ダウンタウンの一角にはいつもホームレスがいて、
その中の一人の女性となぜだか顔を合わせてしまうことがよくありました。
何を言っているのかよく聞き取れなかったけれど、私の方へ向かって手を差し出すような仕草をしたり、ある時など、イライラしながら殴るような仕草をされたことも。
すっかり恐ろしくなってしまって、出来るだけ彼女と目を合わせないようにその一角を通るときは、足速に通り過ぎるようにしていました。
そのことを英語の先生に話すと、次にその人に遭遇した時には毅然とした態度で”Sorry”と言いなさいと言われました。
ホームレスの人たちはもらったお金を悪いことに使うかもしれないから決してお金を渡してはいけないとも。
それを聞いてますます恐ろしくなり、Sorryと言う機会などきませんようにとひたすら祈っていました。
祈りが通じたのか、いつの間にかそのホームレスの女性はいなくなり、顔を合わせることもありませんでした。
一方で、私は週末の教会で夕食を提供するボランティアに参加したことがありました。
そこにやってくる人たちは皆、とても優しく礼儀正しかったのです。
ホームレスの人に怯え、お金を渡してはいけないと考えている自分と
教会で夕食を食べる人達を見て、ほんの少し温かい気持ちになっている自分
そこに言葉にするのが難しい矛盾を感じて、もやもやとした感情が心の奥に残りました。
それから20年以上経った、2020年の梅雨。
雨が降る夕方のことでした。
横浜駅近くの交差点で、雨に濡れながら道路に正座する男性がいました。
膝の前にはからっぽのコーヒーカップ。
普通にどこにでもいそうな、きれいな身なりをしていて、ホームレスとはとても思えません。
でも、2020年の梅雨といえばコロナ禍。
少し前まで普通の暮らしをしていた人が、住む家を失ってしまったということも十分に考えられました。
その人は、膝の上で両方の手をぎゅっと握りしめて、うつむき、一点を見つめているようでした。
もしかしたら泣いていたのかもしれません。
その人の前を通り過ぎる時、お財布に入っている1000円を紙コップに入れようかと一瞬頭をよぎりました。
だけど、紙コップにお金を入れる人は誰もいません。
私がお金を入れるところを職場の人に見られたらどうしよう、そんな思いが浮かんできて結局は何もできずにその場を通り過ぎました。
駅に着いてからも、家に帰ってからもその人のことが頭から離れません。
私にあの人を助けることなどできないのはわかっている。
だけど、せめて今夜の夕食くらいはなんとかできたかもしれない。
できることがあったのに何もしなかった自分が情けなかった。
目の前で困っている人より、自分がどう思われるかを気にしてしまった、そんな自分が嫌になりました。
あの時の後悔を思い出し、
この一節を読んで、ああ、こういうことだと思わずにいられませんでした。
そうした人たちにできる範囲で自分の心を表すことが、する側にとっての魂の救済なのではないかと、私はそのとき初めて思わされた。(旅の彼方/P98)
もしもまた同じような状況があったら、私は私にできる範囲で自分の心を表したいと思うのです。
本文中の引用は下記の本より